MAKOTO MATSUSHITA

see Works & Discography

Date of birth : 1955 /11/16
Horoscope : Scorpio
Blood type : AB

Sound Produce / Compose / Song Writing / Arrangment / Lyrics
Vocal / Chorus / Guitar / Keyboard / Computer Programming

<< Biography >>

1955
松下 誠  11月16日生まれ 蠍座 AB型 静岡県掛川市出身
1973
ヤマハ「ネム音楽院」に入学、ギターを専攻し、音楽理論、作曲法、編曲法などを学ぶ
1974
19歳でステージ・ミュージシャンとしてプロの仕事を始め、以後4年間で500本以上のステージをこなす
1977
山根麻衣 "TASOGARE" をサウンド・プロデュース/アレンジし、スタジオの仕事を開始する
1981
ソロ・アルバム "FIRST LIGHT" をリリース
1982
ソロ・アルバム"THE PRESSURES & THE PLEASURES" をリリース
1983
ソロ・アルバム"QUIET SKIES" をリリース
 
ABsに参加、アルバム "ABs" をリリース
 
環境音楽を制作し始める。この活動は CONFESSION と題され、ライフ・ワークとなる
1984
ABs セカンド・アルバム "ABs-2" をリリース
1985
プログレッシヴなユニット Paradigm Shift を結成、アルバム "PARADIGM SHIFT" をリリース
1986
Paradigm Shift "THE RAIN CHILD & THE RIVER KING" をリリース
1989
Paradigm Shift "3012 PRIMITIVE ODYSSEY" を自主リリース、インディーズの先駆けとなる
1990
Future Days に参加、伊藤広規、青山純、等とプライベートなレコーディングを行う
1994
新しい音楽の可能性を追求してトータル・インプロヴァイズのセッションを始める
1996
Guitar Trio「濃縮ウラン」の活動
2000
アンビエント・セッション "System III" を始動
2001

ア・カペラ・グループ Breath By Breath を結成。アルバム "Braeth By Breath" をリリース

2002

Paradigm Shift ライブ活動を再開する

 

 

   
<< Composing for TV & Movie>>
   
1983 TVドラマ「父母の誤算」音楽担当
1988 映画「クレイジー・ボーイズ」音楽担当
1988 TVドラマ「あぶない刑事」に Paradigm Shift の曲を提供
   
   
<< Tour >>
   
1974~77 因幡晃 etc.
1984 鈴木康弘
1988~90 甲斐よしひろ
1991 高見沢
1995 今井美樹
1999~ 八神純子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<< Recording Overseas >>

1983 AB's / Recording at Marcus Music studio, London, UK
1990 甲斐よしひろ / Mixed at Jacob's studo, Farhum, UK
1990 Dahilia Nasution, Ibeth Cardina, Maryam Mustafa / Recording at Universal Studio, Jakarta, INDONESIA
1991 Asian Beat (Indian percussion group) / Recordiing at Fantasy Studio, SINGAPORE
1992 Dennis Rough / Recording at Mega Sound Studio, Auckland, NEW ZEALAND
2000 八神純子 / Recording at Encore Studio, Los Angels, USA

 

<< Studio Works / Arrangements, Playing & Produce >>

山根麻衣 甲斐よしひろ 柳ジョージ 寺田恵子 鈴木康弘 財津和夫 Zoo Bread & Butter
Show-ya Betty Blue West Wood Plus Rocks Ajari Toy Boys Buzz
               
浜田金吾 岡村孝子 土井晴人 松田博幸 今井優子 笠松美樹 杉山清貴 相曽晴日
今井美樹 来生たかお 中西啓三 尾崎和行 刀根マリ子 安部ヤスヒロ 村井マリコ 久野かおり
谷村有美 林田健司 吉野千代乃 須藤薫 A-YA 小島ゆう子 ユウキナエ 峠恵子
米村裕美 西司 藤原正紀 Katsumi 鈴木祥子 SALA Raji 谷山浩子
槙原敬之 当山ひとみ Festa Mode Cindy 八神純子 高橋マリ子 大橋純子  
               
井上陽水 さだまさし イルカ 因幡幌 加川良 中村雅俊    
               
松田聖子 寺尾アキラ 山口百恵 三浦友和 野口五郎 郷ひろみ 西城秀樹 岩崎宏美
SMAP Kinki-Kids 光 Genji 少年隊 男組 Jonney's Jr. 田原俊彦 近藤真彦
観月ありさ 森口博子 伊藤麻衣子 香坂みゆき 本田美奈子 川島なおみ Judy Anton Jenipher Connery
西田ひかる 石田エリ 羽賀健二 江口洋介 館ひろし Pink Lady 石川秀美  
               
中西敏博 島健 島田歌穂 ITS カリオカ 真梨邑ケイ    
             
・・・その他無数
加古隆 久石譲 岩白太郎 チト河内        

see Works & Discography


<< Eary Days >>


at the age of 21

1955年11月16日、静岡県掛川市に生まれる。 小学校時代に友人の影響で洋楽を聞き始め、以後 Rolling Stones, Cream, Moody Blues, Vanilla Fadge, Red Zeppelin 等のイギリスのロック・ミュージックに熱中する。

掛川西高校に入学すると音楽(合唱)部に所属し毎年恒例のオペラ公演の創作に参加した。当時はフラワー・チルドレンズ・ムーヴメントの真っただ中、学生運動も盛んな時代で掛川西高校は全国で初めて機動隊が入った高校でもあった。入学時にはすでに衰退していたが、同クラブの先輩にその残党が多数残っていて、精神的影響を強く受け、独立心が目覚める。この頃プログレッシヴ・ロックが全盛期を迎えており、King Crimson, Yes, ELP, Pink Floyd 等に傾倒。しかし、一方では Neil Young に影響されてオリジナルを作曲しはじめる。高校2年の時ヤマハのポピュラーソング・コンテスト浜松大会にて「No one beside you」を発表し優秀賞を受賞。この時初めてプロの演奏に触れてアレンジメントの重要性を痛感し、本格的に音楽を勉強しはじめる。

第3学年で同クラブ部長となり、オペラ「Student Prince」を文化祭にて上演。翻訳から演出、舞台監督、舞台装置、衣装などのすべてを自らの手で作り出す喜びを経験する。同時に文化祭全体のオープニング・アクトの創作演出やブラスバンドによるオープニング・テーマ、文化祭テーマ・ソングを作曲、音楽活動にのめり込んでゆく・・・


1973年、高校卒業と同時に18才で上京しヤマハのネム音楽院に入学。林雅彦、北川祐、神谷重徳、川村栄二、信田一夫、高橋信博、等に師事し、ギター・プレイとともに音楽理論全般 、ジャズ理論、管弦楽法、4 & 5 Way Writting、アンサンブル・テクニック、等を学ぶ。特にコード・プログレッションに強く興味を持ちWes Montgomery, Antonio Carlos Jobim, Deodato, Stevie Wonder 等の作品分析に熱中する。この頃、アレンジャーの福井綾氏、中川賢二氏のスコアリング・アシストも経験している。音楽を勉強するのは音楽を自由に操るための手段を身につけるためであったが、プロのアレンジャーの仕事ぶりを直に経験したとき、自分の目指していたものは『音楽を職業にする』ということではないことを痛感させられる。ギターを演奏することに重点を置いたのはこの時からであった。この頃、舟山基紀、萩田光雄、大村雅司、松原正樹、青山徹、宮崎全弘、山本恭二、矢萩秀明、岡本敦男、滝本季延、倉田信夫、渡辺健、板倉文など多くのミュージシャンが同学院に関係していた。(敬称省略)

当時は新しい音楽の流れがソウル/ファンク/クロスオーヴァー/フュージョンへと発展して行く時期にあった。そんな中 Ebony East というソウル・バンドに参加して数多くのディスコや米軍キャンプなどに出演していた。

19才でステージ・バンド Milky Way に参加、本格的にプロとしての活動を開始する。以後、数多くのアーティストのライヴに参加し、4年間で500本以上のステージをこなす。この年齢で日本全国を回ることができたのは貴重な経験となる。 同時にヤマハのプリ・プロダクションのレコーディング・メンバーとして多数のアーティストの作品をアレンジしていた。この頃にリズム・セクションのアレンジメントの実践を身につけ実力を養った。


1977年、22歳の時に山根麻衣のアルバム " Tasogare " のサウンド・プロデュースを全曲担当する。これをきっかけにしてスタジオ・セッションの仕事を開始したが仕事の範囲はすぐに広がり、田原俊彦のデビュー・アルバムをアレンジしたのをきっかけに以後多忙を極めることになる。

この頃、テレビ朝日スタジオの16ch導入に際してのテスト・レコーディングに参加、自作曲 " September Rain " をレコーディングしたのがきっかけでエアー・レコードよりソロ・アルバム "FIRST LIGHT" をリリースすることになる。このアルバムのレコーディングに参加したのが、ネム音楽院時代からの友人である宮崎全弘、ステージ・バンド Milky Way で知り合った松田真人、すでにスタジオで活躍していた富倉安生で、 セカンド・アルバム"THE PRESSURES & THE PLEASURES" 、サード・アルバム"QUIET SKIES" を経て Paradigm Shift へとつながった。

see Works & Discography